社内メールやビジネス文書の中で、「見れる」という表現を無意識に使っていませんか?日常会話では当たり前のように使われていても、実はその言葉遣いが“教養や信頼性”に影響を与えているかもしれません。この記事では、「見れる」と「見られる」の違いや正しい使い方を、NHKの見解や文法的な視点から解説し、ビジネスの現場で恥をかかない表現力を身につける方法を紹介します。
「見れる」と「見られる」の意味と違い
「見れる」は誤用?それとも変化?
「見れる」は「見る」の可能表現として使われる口語表現ですが、文法的には「ら抜き言葉」とされることが多く、厳密には誤用とされてきました。一方で、話し言葉としての使用が一般化しており、辞書や言語学者によっては「容認」の立場を取るケースも増えています。
「見られる」の正しい使い方
「見られる」は、「見る」に対する正当な可能表現です。「今日は富士山が見られる」「その資料は社外からも見られます」など、書き言葉としても問題のない文法的に正しい表現です。
「ら抜き言葉」とは何か
ら抜き言葉の定義と背景
「見られる」「食べられる」といった動詞の可能形から「ら」を抜いて、「見れる」「食べれる」などとする言い回しを「ら抜き言葉」と呼びます。この言い方は、若者言葉や話し言葉として広がりましたが、公式な文書やビジネスメールでは避けるべきとされています。
NHKや文法書の見解
NHK放送文化研究所によると、「見れる」などの表現は誤用とまでは断言せず、あくまで”場面による使い分けが必要”としています。ビジネス文書では「見られる」を使うのが無難です。
「見れる」「見られる」ビジネスでの正しい選択
ビジネスメールや提案書では「見られる」
「この資料は誰でも見れるように設定しています」ではなく、「この資料は誰でも見られるように設定しています」が正解です。たった一語の違いが、言葉に対する“教養の有無”を示す要素になることもあります。
プレゼン・会話では「見れる」もあり得る?
話し言葉としての「見れる」は、親しみやすさやカジュアルさを演出する場合には一定の許容範囲があります。ただし、立場や相手によって慎重な判断が求められます。
「見られる」は受け身と可能の2通りある
「受け身」の意味での「見られる」
「彼に見られた」「不注意なところを上司に見られてしまった」など、能動的に見られるという受け身表現としての使い方です。
「可能」の意味での「見られる」
「この画面は外部からでも見られる」「その講演はオンラインでも見られます」など、機能や環境の説明に使われるケースが多く、ビジネス文脈では頻出表現です。
実例で学ぶ「見られる」の使い方
誤用:この映像は誰でも見れる
正用:この映像は誰でも見られる
誤用:あのプレゼンは録画で見れるよ
正用:あのプレゼンは録画で見られるよ
このように、ビジネスに限らずフォーマルな場では「見られる」の使用が基本です。
「笑顔が見れる」は正しいのか?
「笑顔が見れる」「笑顔を見れてうれしい」などの表現もよく使われますが、これも文法的には「笑顔が見られる」「笑顔を見ることができてうれしい」とするのが正確です。SNSや日常会話ではさほど問題視されないものの、目上の人や公的な文脈では避けたほうが良い表現です。
「見れる」は完全に誤用なのか?
言語の変化と現代の潮流
言語は時代とともに変化します。「見れる」もその一例で、文化庁の調査によれば、若年層の多くが「見れる」を正しい表現として認識しているとのデータもあります。しかしビジネスの場では“変化を先取りするよりも、信頼性や伝統を重んじる”のが基本です。
まとめ:ビジネスで選ぶべきは「見られる」
結論として、「見れる」は話し言葉としては認知が広がっているものの、ビジネスの世界では「見られる」を使うのが信頼を損なわない表現です。メール、企画書、プレゼンなど、あらゆる場面での言葉選びは、あなたの印象を左右します。些細な違いに見えても、丁寧な言葉遣いが周囲との信頼構築に繋がります。
今一度、自分の言葉の使い方を見直してみませんか?